ささ栗

先日の体験レッスン「おもてなし茶の湯」のお話です。

いらしてくださったのは、もうすぐ子育ても終わり、これからは自分の時間が持てるようになりそうという方。

ずっと和より洋のもの方がお好きだったそうですが、最近、和のものの良さを改めて感じるようになり、いらしてくださったそうです。

 

茶道も全く経験がないとのことで、私のお点前は「動きがとても新鮮」に映ったそうです。

ご自身でお茶を点てるのも「夢のような時間」と、とても楽しんでくださり、そのまま茶道教室にもお申込みいただきました。

 

 

さて、和と洋のお話がでましたが、日本の文化の特徴のひとつは「余白の美」。

 

「白紙ももようのうちなれば、心にてふさぐべし」。

 

「無い」ことは「無」ではなく「有」。

「無い」ことによって、更なる広がり、余情を持たせる。

そして、そこには、相手への委譲もあるように私は思うのです。

 

お能の話をしましょう。

私はお能が好きで、時折観に行くのですが、能舞台には何の舞台装置もありません。

舞と謡によって全ては表現されます。

 

お能を観始めて「よく分からないけれど、何だか気になる。どうすれば楽しめるのだろう?」という頃に、能楽師の方にお話しを伺ったことがあります。

 

「能は積極的に見ようとしなければ見えません」

 

そう教えていただきました。

 

シテ(主役)が一歩下がって桜と謡われれば、そこに桜の樹が現れる。現れる桜は、それぞれの心の中にある一番美しい桜。

舞台に桜が無い故に、最上のものをそこに見る。

 

お能を観ていると、自分の中にあるもの、辿ってきたものを再構築しているような気がします。そして、それは物だけではなく感情も。

 

お能の話をすると長くなってしまうのでこの辺りにして...

お教室で、お出ししたお菓子は、とらやさんの「ささ栗」。

まだ、暑い日が続きますが、昨日は二十四節気の処暑。季節は少しずつ、実りの秋に向かっています。